ホロスコープの読み方は、時間とともに少しずつ深まっていくように感じています。
私が本格的に星読みを始めたのは、アセンダントに「破壊と再生」「生と死」がテーマの冥王星が重なっていた頃でした。
ちょうど、自分自身の在り方が静かに変化していくような時期だったのです。
それから3年ほどが経ちました。
これまでにご縁をいただいた方々の多くは、トランスサタニアンが印象的なチャートを持ち、人生に試練をともなう配置が見られる方がほとんどでした。
特に「冥王星」の影響を強く受ける方からの依頼が集中し、生きることに苦悩している方のホロスコープを前に、
「どうすれば、この方が光を見出せるような言葉を手渡せるだろう」と、深く考えさせられていました。
そんな中で、ひとりのお客さまの言葉が私に新しい視点をもたらしてくれました。
彼女のホロスコープは、全体的にとても恵まれているように見えました。7ハウスに太陽・金星・水星が並び、冥王星との調和的なつながり。
愛され、守られ、才能にも環境にも恵まれた方で、明るく陽気な雰囲気で「冥王星」テーマとは無縁な方だと思っていました。
けれど、ある時彼女がふと口にした言葉に、私は、はっとしたのです。
「わたし、死ぬのがこわいんです。」
「今の人生が本当に幸せで、ありがたくて。
だからこそ、これが終わってしまうのがこわい。次の人生が、こんなふうになるとは限らないから。」
その言葉に、私は深く考えさせられました。
困難の中で“生きること”を模索している人もいれば、恵まれた状況にいるからこそ、“終わり”への不安や愛着を抱く人もいるのだと。
それはどちらが良い悪いではなく、ただ、「生きる」ことへの感じ方の違いなのだと気づかされたのです。
彼女は、私の活動をいつも温かく見守ってくださっていました。
イベントの度に足を運び、来れない時はわざわざ連絡だけでも送ってきてくれて、新しいサービスにも早くから反応してくださいます。
サロンにお越しになるときには、いつも手土産を持ってきてくださるような、細やかな心遣いのできる方です。
そして、お話を聞く中で、職場でも人に相談されたり頼られたりと、自然と周囲の人を支える立場でいらっしゃるのだろうと感じました。
与えること、支えることが自然と当り前になっている方・・・
その印象は、施術のときにも伝わってきました。
というのも、施術中に少し緊張される様子が見られたからです。
それはきっと、与えることに慣れていて、受け取ることにまだ少し不器用なのかもしれない、そんなふうに感じたのです。
実は太陽乙女座の私も「受け取り下手」なところがあり、人に触れるのは好きだけど、触れられるとなんだか緊張してしまうことがあり共感してしまいます。
彼女のチャートを見れば、乙女座「奉仕」のホームである6ハウスに木星があり、それはとても納得がいくものでした。
彼女は決して恵まれたものを独り占めしたり、楽をしているわけではないのです。むしろその逆だったのです。
自らが恵まれた豊かさ、美しさ、優しさを、惜しみなく人へと分け与え、周りの役に立てることを自分の喜びに変えて生きてこられたのだと理解しました。
それはまるで、宇宙の“愛の循環”を担っているかのようにも思えました。
人はみな、自分に与えられた試練だけでなくその使命にも翻弄されながら生きているのです。
私はセラピストとして、彼女にただ「受け取るだけの時間」「役割を手放すこと」を許せるような、そんな場を用意したいと思いました。
奉仕という名の役割をいったん置いて、ただ在ることを許される場所があっていい。
与えることに慣れた人が、誰かのためではなく、自分のためにゆるみ、受け取ることにも安心できるように・・・
抗うことのできない運命、幸せも不運もただ受け止めて、ひと時だけでもその場に手放し、忘れてしまえる時間があってもいいのです。
星よみは、未来を当てるためのものではないと私は思っています。
それは、その人の多面的な性質が複雑に繋がった一つ存在として、この人生においてどう在ろうとしているか、魂がどんなふうに、この世界とつながろうとしているのかを、そっと照らしてくれるもの。
「生と死」という深い問いは、苦しみの中だけでなく、満たされた日々の中にも、確かに存在しているのです。
その感じ方の違いに気づくたび、私は人の人生の在り方に、ただ静かに深く敬意を抱いています。そのどれもが、ほんとうに美しい。
誰かの人生のドラマと向き合う時、私は自分の未熟で小さな枠組みから少しだけ広い視野で世界を眺めることができる気がしています。
みなさまと大切なお時間を共有いただけることに感謝しています。
最後までお読みいただきありがとうございました。